– 2018年初稿の記事に星ヶ崎城址を追加他全面的に加筆・修正しました –
毎年初夏に道の駅竜王かかみの里の近辺を歩くJRふれあいハイキングが開催されています。この記事は「鏡山ハイキングコース星が崎ルート」(2022年のコース)で巡る西光寺跡の仁王尊、宝篋印塔(ほうきょいんとう)、石灯籠と、星ヶ崎城址について紹介します。
【変更履歴】
- 初稿 2018年6月18日
- 仁王尊について一部追加修正しました(2019年8月8日)
- 星が崎城址を追加した他、大幅に加筆・修正しました。(2022年6月12日)
目次
鏡山ハイキングコース 星が崎ルート
星が崎ルートは道の駅竜王かがみの里から鏡山の中腹にある星が崎を往復するコースです。
途中にある西光寺跡には仁王尊、宝篋印塔(ほうきょいんとう)、石灯籠があり、星が崎には星ヶ崎城址があり、眺望の良いポイントもあります。
竜王町の他のハイキングコースについては、巻末のリンクを参照ください。
西光寺跡
「道の駅 竜王かがみの里」から出発
名神高速道路の竜王インターから出て国道8号線に向かい、国道との交差点を左折して大津方向へ進むと、国道8号線のすぐ脇に「道の駅 竜王かがみの里」があります。
その駐車場の奥の西方向に鏡山(竜王山)の登り口があり、そこには仁王尊、宝篋印塔、石灯籠、星ケ崎古墳、星ケ崎城址への案内標識があります。
なお、星ケ崎から更に鏡山頂上に向け登ると“推古天皇六年(598)に推古天皇の勅願所として聖徳太子が創建し、自ら刻んだ観世音菩薩を本尊とした”とされる雲冠寺(うんかんじ)跡もあります。
西光寺とは
西光寺は、伝教大師(最澄)が夢の御告げにより鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓(滋賀県竜王町)に818年に建立され、往時は僧坊三百坊といわれた天台宗の大寺院でした。
嵯峨天皇の勅願所であり、源頼朝が東大寺大仏殿落慶供養参列の往還時宿泊し(1195年、「吾妻鏡」)、足利尊氏が元弘(げんこう)3年(1333年)後醍醐天皇に帰順を表明した所でもあります。
康平(こうへい)2年(1060年)の乱で焼亡した後中興されましたが、1571年信長の焼討にあい廃寺となります。(当時信長に焼かれた寺院は非常に多い)
その後再建されることはなく、現在はここに紹介する歴史遺産のみが残っているわけです。
仁王尊
案内標識脇にある入口を入って民家のすぐ横を通り、イノシシ対策の柵を抜けるとまもなく西光寺跡です。暫く往くと拝殿が見えてきてその奥側に仁王尊が安置されている仁王堂(下写真)がありました。
写真には写っていませんが、向かって右手には昔は東山道の鏡宿として栄えた地域らしく草鞋(わらじ)が供えられていました。足の病気にご利益のあると信仰を集めているということです。また上の写真で堂の左隅においてある丸い石は、これを持ち上げると願い事が叶うそうです。
から引用しますと
西光寺跡地のお堂に祀(まつ)られている石の仁王尊(におうそん)は、足の病を癒してくださると言い伝えがあり、毎年6月下旬の千日会(せんにちえ)には、草鞋(わらじ)をお供えする風習があって平癒を願う参拝者が絶えません。前日の夜には千日祭と言って鏡集落から仁王尊までの道に浮世絵の描かれたぼんぼりが立ち並びます。
このように仁王尊は毎年6月下旬の祭事の際に2日間だけ御開帳される「秘仏」ですが、今回は特別に開けて見せていただきました。下のように立派な石像金剛力士像でした。
石像ですので木造のような写実感はない代わりに素朴な力強さがあります。
仁王尊は阿形と吽形の対であるのに
仁王様と一般に親しまれる金剛力士は阿吽(あうん)の呼吸と言われるように、本来阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の2体を一対として、表門などに安置されていたはずですが、残っているのはこの阿形の一体だけです。
地元では昔山崩れがあった際に、片方が山に埋もれてしまったと伝わっていました。しかし、近くにあったはずなのに片方だけ掘り出せないほど埋もれる?という疑問が残ります。
対の仁王尊が発見された!
ところが数年前、あるブログ(おそらく歴史ロマンのある石造仁王さんのお話 )を見た金沢の方から、金沢によく似た仁王尊の石仏があると連絡がありました。
上記ブログで述べられているように
・像高が同じ位
・石の素材も同じ感じ
・目、眉、鼻、耳、頬の形がよく似ている
・ポーズが左右対称になっている
・天衣の表現が同じ
・髻(もとどり:まげの部分)が酷似(特に髪結いの紐の部分)
・首筋の表現が似ている
と非常に似ています。
後日金沢市の担当の方が調査に来られ、また滋賀県側の調査でも一対の仁王尊であることがほぼ間違いないことが判明したのです。(石材の科学的分析調査が行われていないという意味で100%確実ではありません)
金沢市のホームページに平成28年9月に市の文化財指定されたという記事歴史遺産紹介:石造金剛力士立像(吽形)がありましたので一部を引用します。
石造金剛力士立像は、地元の長土塀地区で「今枝仁王尊」の名称で親しまれている石造仏である。今枝氏は、二代藩主利長の代から前田家に仕え、人持組筆頭で代々家老職を務め、最大1万4千石を領した。金剛力士像は、今枝氏の下屋敷庭内にあったが、廃藩後、上屋敷を廃して下屋敷内に居住の際、街路側に入口をもつ堂を建てて安置した。
このように金沢の仁王尊は大切に安置されていて信仰も厚く、竜王町の仁王尊のことが判明すると金沢から団体でお参りに来られたそうだ。
なお竜王町では、どういうわけか仁王尊の文化財指定はされていません。
2019年に金沢の仁王尊を尋ねた
後に金沢の仁王尊を尋ねる事ができました。下記記事で紹介しています。
実物を拝観させて頂いて確かに竜王の仁王像と一対に間違いないと確信しました。
この一対の仁王尊は元々何処にあったのか?
記録がなくてわからないのですが、2つの説があります。
滋賀県説が有力
ここ竜王町鏡地区は近江八幡市のすぐ隣にあり、秀吉の時代に秀吉の甥で八幡城主であった関白秀次の領地でした。秀次の家老であった今枝重直は、秀次亡き後文禄4年(1596年)に加賀藩2代目藩主前田利長に召し抱えられましたので、その際、金沢に片方を持って行ったと推定されます。前出の金沢市のホームページに下記の記載があります。
今枝氏への像伝来の経緯は不明であるが、作工が酷似すると考えられる石造金剛力士像(阿形)が滋賀県蒲生郡竜王町鏡所在の西光寺跡で確認されており、今枝氏が当地に持ち運んだものと想定される。
ということで、元は西光寺の表門に一対で安置されていたものと推定されます。
別説もある
金沢を訪ねた際頂いた「長土塀今枝仁王尊奉賛会」の資料によれば、「今枝重直に子供がいなかっため、実妹の嫁せる岡山藩池田輝政の老臣日置(へき)猪右ヱ門正勝の五男直恒が養子になる際、日置家に伝わる仁王像2体のうち一体を随伴した」と伝えられています。しかし、岡山に残る一体は残存していません。
宝篋印塔と石灯籠
仁王堂の脇から少し斜面を登ると宝篋印塔(ほうきょういんとう)と石灯籠(いしとうろう)がありました。
宝篋印塔
宝篋印塔は仏塔の一種ですが、内部に宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)経を収めたためにこの名があります。下から方形の基台、四角の塔身、方形の階段状の笠(蓋)(かさ)、相輪、宝珠と構成され,笠の四隅に馬耳形の突起をもつのが特徴です。木や金属製もありますが石塔が圧倒的に多い。
滅罪や延命などの利益から、追善(死後に供養すること)・逆修(生前にあらかじめ供養をすませること)の供養塔であることが多い。墓碑塔である場合は大変高貴な人の墓と言えます。
下が西光寺跡に残る宝篋印塔です。
この宝篋印塔は鎌倉時代後期1300年頃の作とされ、塔の高さ210cm、塔身の周囲は180cmあります。
2段の基壇の上に孔雀の向かい合っている格挟間を彫った基台を置き、塔身・笠・相輪を積み重ねています。残念ながら相輪が七輪を残し上部を欠損し、宝珠はありません。
背面には宝篋印陀羅尼経を納めるための穴があります。
特筆すべきは、塔身(白っぽい石)の角に直立する梟(ふくろう)の彫刻が大変珍しく、国の重要文化財に指定されています。
八柱神社跡の石灯籠(いしどうろう)
同じ敷地内の10メートルほど離れたところには、右写真の石灯籠(いしどうろう)があります。
この石灯籠は、西光寺の鎮守八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝であったとされ、高さが2.8mもあります。
「応永(おうえい)28年(1422年)8月8日願主敬白」の刻銘があり、室町時代初期の作です。
当時の様式の多くは丸柱の中央に周帯を有するものですが、これは八角柱であるのが珍しく、笠を持ち火袋には四仏が彫られた優美な意匠を凝らした背の高い灯籠です。これも国の重要文化財に指定されています。
星ケ崎城跡まで登る
石灯の脇から20分ほど細い山道を登ると星ケ崎古墳があり、更に5分ほどで稜線の尾根道に到達します。
尾根道を左に少し下ると琵琶湖方面に視界が開け、野洲から近江八幡にかけての景色がよく見えます。
尾根道を右に登るとまもなく標高220mの平らな所に到達します。ここが佐々木六角氏の出城星ケ崎城の跡です。
ここからは東北方向に視界が開けていて下のような景色が見えます。
中央左側の高い山が佐々木六角氏の観音寺城があった繖山(きぬがさやま)です。その右には箕作山(みつくりやま)があり、その間の狭い平地を新幹線や国道号線(旧中山道)が通っています。信長が京を目指して攻め上るときここを通り、六角氏との戦いになったわけです。
城址の周辺部に下のような立派な石垣が残っています。六角氏は信長との戦いで破れて廃城になったのですが、それ以前の時代にこのような石垣の技術があったわけです。
当時、戦のときにはこのような山城に詰めますが普段は平地の屋敷で暮らしていました。
この城を任されていたのは井上氏ですが、今も竜王町内に井上館という堀に囲まれた屋敷が残っており、子孫が住まいされています。
「道の駅かがみの里」には豊富な地元産品
この道の駅はかなりの規模で地元特産品も多く売っています。
お薦め品の例
特に野菜が安いですが、私が買ったお薦め品の例を上げますと
緑色ミニトマト
緑色なのに甘い品種があります。
鮒ずし
ご存知滋賀の特産名物鮒ずし。お試しセットが650円と安い。
大田牧場のプリン
瓶入りでいつ食べても美味しい。
果物いりプリン
白桃、いちご、ナシ、メロンの4種あり、果実成分がたっぷり
食事
食事は、近江牛で有名なレストラン岡喜があります。
引用・参考サイト
この記事では下記のサイトを引用あるいは参考にさせていただきました。