今年、諏訪の御柱祭りで氏子が落下して亡くなる事故がありました。大阪・岸和田のだんじり祭りも勇壮だが危険な祭りとして有名です。
この「伊庭の坂下し(いばのさかくだし)祭り」も凄いです。私は近郊に住んでいるのに不明にもこんな希有な祭りがあるとは知らなくて、今年初めて見学してきました。
【追記】追加で動画をアップしました。(2016.10.18)
伊庭の坂下し祭りとは
滋賀県東近江市能登川町の伊庭(いば)地区で毎年5月4日に行われる800年以上の歴史がある神事です。
安土山の隣にある繖山(きぬがさやま、観音寺山ともいう、標高433m)の山腹(八王子山)にある繖峰三(さんぽうさん)神社と、ふもとの大浜神社、望湖神社の3社の春祭りで、県の無形民俗文化財に指定されています。
「坂下し祭り」は、前日の「御輿上(おこしあげ)祭」で500kgほどの重さがある三基の神輿が麓から繖峰三神社に引き上げられ、翌日神を載せた神輿を、氏子の若衆が急な坂が続く参道を麓にある大鳥居まで引きずり降ろすものです。
その奇祭ぶりが近年かなり知られるようになってきて、大阪など遠くから訪れている見物人もおられました。
神輿を坂下しする方法
神輿は木製でそのまま転げ落としたら簡単に壊れてしまいます。綱で神輿を網目状にからげて神輿全体に被せて損傷から保護しています。
神輿を下す氏子(若衆)は、先頭で後ろ向きに長柄の先端を持って先導するリーダーと前向きに長柄の間に入る人の前部には計二人、横には横転しないよう神輿を左右から支える人が六人、後部には二人の他、意図しない神輿の急激な落下を防ぐため後部で綱引きのように引く人が10人ほどがいる。あと周囲に数人の交代要員の氏子で構成される。
更に神輿から離れた前方にいる先輩の氏子が全体を監視しながらリーダーに進行方向などをアドバイスする。リーダーは大きなかけ声で号令をかけ、全員が大きなかけ声と共に神輿を力任せに引きずり動かす。崖の所に来ると、適当な方向を見定めて一気に滑らせて落とす手法が採られる。
勇壮だが危険
参道の標高差は170mほどで、足場の悪い急斜面や巨石の難所が続き、毎年の行事のせいでしょうか草木がなく、岩と山肌がむき出しです。本当に参道?参詣者が登れるの?と思ってしまいます。(実際登ってみると、さすがに急な崖には参詣者用の迂回路がありましたが、見物には登山靴を履くことをお勧めします)
坂下し祭りは500kgもある神輿を急な坂や崖も迂回なしで引きずり下ろすのですから、勇壮ですが大変危険です。
主催者側の警備員やお巡りさんも出て整理していますが、規制が緩くてほんの近くまで見物人が寄って観ていますし、急な坂で実際先頭の氏子が転げ落ちたりして事故と紙一重です。今年は担ぎ手の一人が神輿と斜面に挟まれて倒れ、担架で運ばれました。
参道の中でも高さ6メートルの崖になっている「二本松」と呼ばれる所が最大の見せ場です。神輿を定位置に設置して準備ができたら、氏子の男達が祭り歌「ササヤアトコ節」を歌って集中力を高めます。山間に歌声が響き、見物の私達まで高揚してきます。歌の力は凄い。
落下させる見せ場では特別に神輿の前部に新人二人が乗ります。中学生ぐらいの不安そうな面持ちの二人が前部の屋根の下に入って座ると、リーダーらが進路を慎重に確認した後、一気に神輿を滑らせ下ろすのです。無事降りることができると、見守る人たちから大きな拍手と歓声が上がりました。
【追記】この場面の動画をアップします。(2016.10.18)
映っていませんが、落下したリーダーも無事でした。
5基の神輿のそろい踏み
下ろされた神輿は周りの保護綱をほどいて、飾りが付けらるなど化粧がされます。
実は、神輿は全部で5基あり、そのうちの3基が前日神社まで運び上げられ本日坂下しされたわけです。坂下しが終わると保護綱が解かれて飾りつけなど化粧がされて、鳥居前に5基が勢揃いします。三体の山上の神を迎えて春祭りのオープニングです。
奇祭の存続に感心
この祭りは農村地域の五穀豊穣を願う春期祭礼の一つです。
勇壮で見物している人の本能を揺すぶる感激があります。取材記者のインタビューを受けていた、友人や旦那が若衆で参加しているという若い女性達は、怪我の心配をしながらも、普段にはない男らしいたくましさで見直したと異口同音でした。
一方大変危険で、怪我を嫌う風潮の現在まで800年も続いていることに感心します。
前日の神輿上げは重労働で老若男女の総出で行うという。一旦止めたら復活できないという思いの地域住民の結束でこの祭りは続いているのでしょう。