竜王町鏡の里 西光寺跡の石造歴史遺産

先日、JRふれあいハイキング「東山道・鏡宿界隈を往く」に参加しました。

今回はこのハイキング行程の最後に見学した、西光寺跡の仁王尊宝篋印塔(ほうきょいんとう)、石灯籠という石造の歴史遺産を紹介します。

西光寺跡

場所は「道の駅 竜王かがみの里」近く

名神高速道路の竜王インターから出て国道8号線に向かい、国道との交差点を左折して大津方向へ進むと、国道8号線のすぐ脇に「道の駅 竜王かがみの里」があります。

その駐車場の奥の方から鏡山(竜王山)の斜面を少し登ると西光寺跡で、今回紹介する歴史遺産があります。

西光寺とは

西光寺は、伝教大師(最澄)が夢の御告げにより鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓(滋賀県竜王町)に818年に建立され、往時は増坊三百坊といわれた天台宗の大寺院でした。

嵯峨天皇の勅願所であり、源頼朝が往還の時宿泊し、足利尊氏が元弘(げんこう)3年(1334年)後醍醐天皇に帰順を表明した所でもあります。

康平(こうへい)2年(1060年)の乱で焼亡した後中興されましたが、1571年信長の焼討にあい廃寺となります。(当時信長に焼かれた寺は非常に多い)

その後再建されることはなく、現在はここに紹介する歴史遺産のみが残っているわけです。

仁王尊

駐車場の奥の西方向に鏡山への上り口があり、そこには仁王尊宝篋印塔石灯籠星ケ崎古墳星ケ崎城址の案内標識があります。

この入口を入って民家のすぐ横を通り、イノシシ対策の柵を抜けて暫く往くと拝殿が見えてきます。その奥側に仁王尊が安置されている仁王堂(下写真)がありました。

仁王堂

仁王尊の創建は不詳とのことですが、足の病気にご利益があると地元で信仰を集めています。上の写真で堂の左隅においてある丸い石は、これを持ち上げると願い事が叶うそうです。

仁王尊は毎年7月の祭事の際に年に2日間だけ御開帳される「秘仏」ですが、今回は特別に開けて見せていただきました。下のように立派な石像仏でした。

仁王堂の御開帳。阿形の仁王尊(石像)

仁王尊は阿形吽形の対であるのに

仁王と一般に親しまれる金剛力士阿吽(あうん)の呼吸と言われるように、本来阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の2体を一対として、表門などに安置されていたはずですが、残っているのはこの阿形の一体だけです。地元では昔山崩れがあった際に、片方が山に埋もれてしまったと伝わっていました。

対の仁王尊が発見された!

ところが数年前、金沢に同じよく似た仁王尊の石仏があると現地の方から連絡があり、写真を見比べるとまさに一対の仁王尊であることが判明したのです。

石造金剛力士像(吽形) 金沢市ホームページより

金沢市のホームページに歴史遺産紹介:石造金剛力士立像(吽形)という紹介記事がありましたので一部を引用します。

石造金剛力士立像は、地元の長土塀地区で「今枝仁王尊」の名称で親しまれている石造仏である。今枝氏は、二代藩主利長の代から前田家に仕え、人持組筆頭で代々家老職を務め、最大1万4千石を領した。金剛力士像は、今枝氏の下屋敷庭内にあったが、廃藩後、上屋敷を廃して下屋敷内に居住の際、街路側に入口をもつ堂を建てて安置した。

このように金沢の仁王尊は大切に安置されていて信仰も厚く、竜王町の仁王尊のことが判明すると金沢から団体でお参りに来られたそうだ。

この一対の仁王尊は元々何処にあったのか?

記録がなくてわからないのですが、2つの説があります。

滋賀県説が有力

ここ竜王町鏡地区は近江八幡市のすぐ隣であり、秀吉の時代に秀吉の甥で八幡城主であった関白秀次の領地でした。今枝氏は秀次の家老であったので、秀次亡き後前田家に召し抱えられられる際、金沢に片方を持って行ったと推定され、前出の金沢市のホームページにも下記の記載がある。

今枝氏への像伝来の経緯は不明であるが、作工が酷似すると考えられる石造金剛力士像(阿形)が滋賀県蒲生郡竜王町鏡所在の西光寺跡で確認されており、今枝氏が当地に持ち運んだものと想定される。

ということで、元は西光寺の表門に一対で安置されていたものと推定されます。

石川県説もある

金沢市今枝の方の話ですが、前田家の男子が養子になるため中国地方に向かうとき、石仏の片方を随伴したが、途中で宿泊した際、何者かに盗まれたという説。

しかし、この説には下の疑問が残ります。

  • なぜ重い石仏をわざわざ養子先に持っていったのか?
  • 盗人は巨大なものを前田家の武士団からどうやって盗んだ?また命がけで盗むほどの価値があったのか?
  • 武家同士の強奪だとしたら、大騒動になって当時の記録に残っているだろう。

宝篋印塔と石灯籠

仁王堂から更に斜面を登ると宝篋印塔(ほうきょういんとう)と石灯籠(いしとうろう)がありました。

宝篋印塔

宝篋印塔とは仏塔の一種ですが、滅罪や延命などの利益から、追善(死後に供養すること)・逆修(生前にあらかじめ供養をすませること)の供養塔であることが多い。墓碑塔である場合は大変高貴な人の墓と言えます。

下が西光寺跡に残る宝篋印塔です。

宝篋印塔 塔身の周囲4角の梟(ふくろう)の彫刻が大変珍しい

この宝篋印塔は鎌倉時代後期1300年頃の作とされ、塔の高さ210cm、笠石の下の塔身の周囲は180cmあります。

2段の基壇の上に孔雀の向かい合っている格挟間を彫った基礎を置き、塔身・笠・相輪を積み重ねています。特に、塔身(白っぽい石)の角にある梟(ふくろう)の彫刻が大変珍しく、国の重要文化財指定されています。

八柱神社跡の石灯籠(いしどうろう)

石灯籠全景 八角柱が珍しい

同じ敷地内の数メートル離れたところには、右写真の石灯籠(いしどうろう)がありました。

この石灯籠は、西光寺の鎮守八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝であったとされ、高さが2.8mもあります。

「応永(おうえい)28年(1422年)8月8日願主敬白」の刻銘があり、室町時代初期の作です。

石灯籠近影 火袋には四仏が彫られている

当時の様式の多くは丸柱の中央に周帯を有するものですが、これは八角柱と珍しく、笠を持ち火袋には四仏が彫らた優美な意匠を凝らした背の高い灯籠で、これも国の重要文化財に指定されています。

あとがき

星ケ崎古墳と星ケ崎城跡

ここからあと20分ほど山を登ると星ケ崎古墳があり、更に5分ほどで星ケ崎城跡があるのですが、今回は訪れませんでした。いずれ機会があれば登山を兼ねて訪ねてみたいです。

「道の駅かがみの里」には豊富な地元産品

この道の駅はかなりの規模で地元特産品も多く売っています。私も当日寄りましたが、緑の甘いミニトマト、セロリ、宇和ゴールド(大きな酸っぱくないみかん、袋に詰放題550円、7個入った)等を買いましたが、いずれもお薦めです。

引用・参考サイト

この記事では下記のサイトを引用あるいは参考にさせていただきました。

金沢市歴史遺産紹介:石造金剛力士立像(吽形)

滋賀県公式観光サイト:仁王尊

竜王町観光協会:義経元服の地鏡の里と平家終焉の地を訪ねて

竜王町:竜王の名所・旧跡

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